楊貴妃

1年の文化祭も終わり、メンバーもそれぞれのやりたい事がわかってきた。

ドラムの兄貴は大学受験に専念するため抜けた。
その弟のJ君も当時ブームだった「フュージョン」がやりたくて自分のバンド結成にむけ脱退した。
BASSのT君も「フュージョン」バンドに参加することになったが、掛け持ちですることになり、こちらを抜けるにはいたらなかった。

ドラムは幸いにも友人を通じて名乗りを上げたM君を迎え入れた。
M君は校内でも有名な「やんちゃ者」で顔がVoのO君に似ている(笑)
彼は高校生ながら、これまた当時全盛だった「パンクロック」の
インディーズバンド「アルコール95%」に参加し、大阪アメ村の老舗ライブ
ハウス「バハマ」にレギュラー出演したり、自主制作レコードを作製したり
実績をひっさげての参加となった。
兄貴のドラムが優しく繊細だったせいもありM君のパワフルなドラムは大
きくバンドのイメージを変えてくれた。そう、さらに「ROCKっぽく」なった。

心機一転バンド名も変えることにし、当時「横浜銀蝿」などで流行った
「漢字のバンド名」にすることになり、ちょうど歴史で習っていたこともあり
「楊貴妃」(爆音炸裂完全燃焼楽団)に決まった。
なにか怪しげでいいのではないかと・・・。
あるとき、イベントで看板に出演者名をカタカナで書かれた「ヨーキヒ」と・・・
この名前、漢字以外は見れたもんんじゃないな(^^;

さて、バンドのレパートリーを決めるのに、公平に平和的にきまるように、
とりあえず一人2曲づつ好きな曲を持ってくることになった。
メンバーは無条件で文句をを言わずにその曲をするというルールで。
持ち寄った曲はこんな感じ(笑)

・Dr(M君)・・・パンクロック(クラッシュ、ダムド)
・Vo(O君)・・・POPS(ビリージョエル)
・Gt(HIRO-BEE)・・・ハードロック(UFO)
・Bs(T君)・・・フュージョン(プリズム)
・Ky(Ahiru)・・・J-POP(サザン)
   見事にばらばら(笑)

このころから「アレンジ」を僕が担当してギターソロはもちろん、曲全体の
構成や音の運びを自分流にかえていたので、全体を通してきいてもあまり
違和感なく「楊貴妃サウンド」になっていた。
この部分が重要で、他のバンドはもともとの演奏をコピーするだけにとど
まっていたので僕たちの演奏を興味をもって見に来る「同業者」(笑)も
たくさんいた。

メンバー全員が自分で言うのもなんですが「人気者」の集まりだったので
文化祭ともなるとそれぞれのファン、連れ、後輩が押し寄せ音楽室は満員
になった。
椅子はもちろん、その前の床に座り込むもの、後ろの棚によじのぼって
見るもの・・・ありがたい雰囲気の中で演奏させてもらえた。
控室からステージへ、人を掻き分けながら「ごめんね〜通してね〜」と
いいながら向かうのは気持ちのいいことだった(笑)
演奏を始める前から歓声と拍手に「あおられた」ので緊張もあまりせず、
メンバーもテンションが上がりきった状態だった。

このころから僕は

「○○高校にはシェンカー(マイケル)がいる」

と噂されだした。
他の高校のバンドの練習にギター1本持って出かけ、いきなり
「JAM(セッション)」しようよ!」と殴り込んだりしていた。
今思うとなんとも向こう見ずな事をしていたもんだ。
道場破りである。
でも、皆は割りと友好的に、でも少しは対抗意識を燃やして迎えてくれた。
「今日はシェンカーvsヴァンへイレンやったなぁ」
「今日はシェンカーvsルカサーやったなぁ」
などと楽しかったし友好も深めた。
どこかでライブするときにお互い対バンに誘ったりしあっていた。

そして・・・
校内では2年の頃からライバルバンド「DREAMER」がたちあがっていた・・・

【エピソード】
いつも利用していたスタジオは地元では割と有名なスタジオで
「世良正則」もここから「ポプコン」にエントリーしてプロになっていった。
ある日、練習していると窓がふさがるくらいの大男が、
じっと僕たちの練習を見ているではないか・・・

くしゃくしゃのハット(帽子)
しわだらけのレインコート
もじゃもじゃのロングヘアー

曲の合間になって、その男が中に入ってきてこう言った。
「ええ感じやねぇ〜ちょっとドラム叩かしてくれる?」
間近に見て気が付いた・・・「河島英吾」(故)

英吾さんは僕たちの高校のOBだった。
フォークソング部、バスケットボール部の部長で生徒会長もつとめ、
卒業式でいきなりギターをもって壇上にあがりゲリラライブを行った
伝説があった。
当時はもうプロデビューしてすでに「酒と泪と男と女」がヒットしていた。

さて、ドラムのほうはというと・・・「ドンタタ、ドンタ、ドンタタ、ドドタ」
???どういうビートだ???なにか祭囃子のような民族音楽のような・・・
せっかくだから、なんとかそのビートに合わせて「ロック・ボトム」を演奏した。
無事演奏が終わり僕たちは内心「やれやれ・・・」とホッとした。
英吾さんは立ち上がり
「ありがとう!じゃましてごめんね。気持ちよかったわ。
                         音楽を盛り上げていってな」
と言ってみんなと握手して出て行った。
「ありがとうございました!」と感謝の気持ちを伝えた。
スタジオにフラっと来て、店員に「後輩たちがやってるよ」と聞いたそうだ。
大きく力強い手でしっかりとした握手・・・魂をもらった。


しっかりとシェンカー仕様のVを股にはさんで
おります(^^)

アンコールともなるとこんな状態(笑)
ぼくの横で飛び入りでマイクを持って歌っているのは
「DREAMER」のVo.M君

こんな感じで

高校3年生の謝恩会にて
「楊貴妃」ラストステージ
さすがに感慨深いものがあった

BAND HISTORY